ESG専門人材の市場価値 — なぜ今、値がつくのか
「サステナ推進って、正直、コストセンターですよね。市場価値、つくんですか」
この問いを、面談で何度もぶつけられてきました。しかも、口にするのはたいてい、すでにサステナビリティ推進室で働いている当のご本人です。皆さまも、心のどこかで同じ疑いを持っていないでしょうか。「良いことをやっている実感はある。でも、これは転職市場で値がつく経験なのか」と。結論から言い切ります。ESG専門人材の値は、この2〜3年で明確に上がりました。ただし、値がつくのは「サステナをやってきた」経験そのものではありません。今日はそこを、僕が面談で使っている一つの物差しで解きほぐします。
誤解がないように先に申し上げると、僕はサステナ領域の専任コンサルタントではありません。IT人材業界を20年見てきて、この2年、非財務・開示まわりの求人が明らかに増えたことを現場で体感している一人です。だから今日の数字は、公表されている制度の事実と、僕の体感値をはっきり分けて出します。
0. 前提 — なぜ「今」なのか。制度が経験を金融化した
値がつく理由は情緒ではなく、制度です。日本では2023年3月期以降、有価証券報告書に「サステナビリティに関する考え方及び取組」の記載欄が新設され、上場企業は非財務情報を有報という法定書類の中で語ることが義務づけられました。人的資本についても、女性管理職比率・男性育休取得率・男女間賃金差異といった指標の開示が求められるようになっています。さらに、国際的なISSB基準を受けて日本版のサステナビリティ開示基準(SSBJ基準)が整備され、東証プライム上場企業から段階適用へと向かう流れが敷かれました。
この一連の制度変更が何をしたか。ひとことで言うと、サステナビリティを「やる仕事」から「開示する仕事」に変えたのです。開示は有報という法定文書に載る。監査法人などによる第三者保証の対象にもなりつつある。つまり間違えれば会社の信用と法的リスクに直結する。ボランティア的な善意の活動が、いきなり「間違えられない専門業務」の格に引き上げられた。値がつくのはここです。善意には値がつきませんが、責任には値がつきます。
1. 値がつく人の共通点 — 「翻訳距離」というフレーム
ここで、僕が面談で使っている物差しを出します。翻訳距離と呼んでいます。社内で勝手にそう呼んでいるだけの言葉なのですが、これが一番よく効きます。
サステナの仕事は、要するに三つの言語圏の真ん中に立つ仕事です。ひとつは財務・投資家の言語(有報、統合報告書、資本コスト、機関投資家との対話)。ひとつは現場・事業の言語(工場のエネルギー、調達先、製品設計、人事制度)。そしてもうひとつが制度・基準の言語(ISSB、SSBJ、GHGプロトコル、マテリアリティ特定のプロセス)。この三つは、放っておくと永遠に噛み合いません。財務は数字で話し、現場はモノで話し、制度は条文で話すからです。
翻訳距離とは、あなたがこの三つの言語のうち、いくつをまたいで意味を運べるかです。一つの言語しか話せない人(たとえばIR経験だけ、あるいは環境の現場だけ)の市場価値は、正直、頭打ちになりやすい。二つをまたげる人から、急に値が跳ねます。三つをまたげる人は、体感値で言うと、いま採用市場で最も奪い合いになっている層です。サステナ経験の「年数」より、またいだ言語の「本数」で値が決まる——これが今日一番お伝えしたい一文です。
2. 具体で見る — 同じ「サステナ3年」でも値が倍違う理由
抽象論だと伝わりにくいので、対照的な二人を並べます。どちらも実在の個人ではなく、面談で頻繁に会うタイプの合成です。
Aさん:事業会社のサステナ推進室で3年。CSRレポートの取りまとめ、社内のCO2データ集計、イベント運営が中心。真面目で、社内では信頼されている。 but 語れるのは現場言語のみで、有報のサステナ欄がどう投資家に読まれるかは「わからない」。この方の翻訳距離は1言語です。
Bさん:同じくサステナ推進室で3年。ただしこの3年で、Scope1・2・3の算定を自分で組み、その数字を有報とIR説明会の資料に落とし、機関投資家からのESGアンケートに回答した経験がある。制度が変わるたびに、経理・IR・工場の間を走り回って整合を取ってきた。翻訳距離は3言語です。
年数は同じ3年。しかし転職市場での提示レンジは、僕の体感で言うと、はっきり倍近く開きます。Bさんに値がつくのは、Bさんが希少だからではありません。Bさんが「間違えると会社が困る場所」に立ってきたからです。ここでも、責任の重さが値に直結しています。
3. 値のつく経験を、職種ごとに具体化する
では、どんな経験が「またぐ」経験としてカウントされるのか。求人票の言葉に近づけて、具体的に挙げます。
①開示・非財務情報の主担当経験。統合報告書や有報サステナ欄の企画・執筆、マテリアリティ特定のワークショップ運営、SSBJ/ISSB対応のギャップ分析。これは財務言語と制度言語をまたぐ最短ルートです。②GHG算定の実務。Scope1・2はもちろん、サプライチェーン排出であるScope3を自分で組んだ経験は、いま特に評価が高い。数字に第三者保証がかかる前提で作った経験があれば、なお強い。③投資家対話(ESGエンゲージメント)。機関投資家や議決権行使助言会社のESG評価にどう答えたか。ここは財務言語そのものです。④TCFD/シナリオ分析。気候変動の移行リスク・物理リスクを事業インパクトに翻訳した経験。
逆に、値がつきにくい(つかないわけではない)経験も正直に言います。社内啓発イベント、レポートの校正、単発の寄付・植林の運営。これらは大切な仕事ですが、翻訳距離が伸びにくい。もし今あなたがこの領域に偏っているなら、次章の一手が効きます。
4. 年収の目安レンジ — 断定でなく、体感値として
数字を出します。断っておきますが、これは公的統計ではなく、僕が見てきた求人と面談からの目安値です。企業規模・業種・地域で大きく動きます。それでも、意思決定の足場にはなるはずです。
| 層(翻訳距離) | 役割の例 | 年収の目安レンジ |
|---|---|---|
| 1言語(現場のみ) | サステナ推進 担当者 | 450〜650万円 |
| 2言語をまたぐ | 開示・GHG算定の主担当 | 650〜900万円 |
| 3言語をまたぐ | サステナ推進 マネージャー/CSO直下 | 900〜1,400万円 |
この表は統計値ではありません。あくまで面談での肌感です。ただ、傾向としては自信を持って言えます。上に行くほど、サステナ知識より「経営・財務との距離の近さ」で値が決まる。CSO(最高サステナビリティ責任者)やその直下ポジションが新設される企業が増え、そこは実質的に経営企画・IRと地続きの椅子になっています。だから最上段のレンジは、もはやサステナ職の相場というより経営人材の相場に近づきます。
5. 今日からの一手 — 翻訳距離を1本、意図的に伸ばす
読んで終わりでは意味がないので、実務の話をします。所要は棚卸しに30分、動き出しに数ヶ月です。
まず白紙に、自分の3年(あるいは5年)を三つの言語で仕分けしてみてください。財務言語で語れる経験、現場言語で語れる経験、制度言語で語れる経験。おそらく、どれかに偏っているはずです。偏りは弱点ではなく、伸ばす方向を教えてくれる矢印です。現場言語に偏っているなら、次の半年で「自社の有報サステナ欄がどう書かれ、投資家にどう読まれているか」を自分の担当に引き寄せる。開示・IRに偏っているなら、一度は工場のエネルギーデータや調達先の実態を自分の足で見に行く。翻訳距離は、机の上では伸びません。
もう一つ。職務経歴書を書くとき、「何をやったか」ではなく「何と何をつないだか」で書く。「CSRレポートを作成」ではなく「工場のエネルギーデータをScope1・2として算定し、有報サステナ欄とIR資料に反映した」。同じ事実でも、後者は翻訳距離が一目でわかります。採用側が探しているのは、まさにこの「つなぎ手」だからです。
(結論)値がつくのは、サステナではなく「またぐ力」
まとめます。①ESG人材の値は、2023年以降の有報サステナ開示・人的資本開示・SSBJ整備という制度変更によって、確かに上がった。②ただし値がつくのは「サステナをやった年数」ではなく、財務・現場・制度の三言語を「またいだ本数」。③GHG算定・開示・投資家対話・シナリオ分析が、またぐ経験の中心。④年収は翻訳距離が上がるほど跳ね、最上段は経営人材の相場に近づく(いずれも目安値)。⑤一手は、自分の偏りを見つけ、翻訳距離を意図的に1本伸ばすこと。
サステナがコストセンターかどうかは、正直、会社によります。でも、あなた自身がコストセンターの住人でいるか、翻訳者として値をつけていくかは、選べます。良いことをしている、で止めない。それを財務と経営の言葉に翻訳できる人が、この領域の勝者です。
皆さんいかがでしたでしょうか。まずは自分の翻訳距離の棚卸しから。15問の適性診断でも、あなたの立ち位置を言語化できます。では、今日もがんばりましょう。
IT人材業界20年、ギークリー創業を経て現職。個人として通算4,200名のキャリア面談を実施してきた経験に基づき監修しています。本文中の年収・難易度等は独自ガイドの目安値であり、個人の経験・企業により変動します。
自分の「翻訳距離」を、言葉にする
15問の適性診断で、あなたの経験が財務・現場・制度のどこに強く、どこを伸ばすと値がつくかが整理できます。登録不要・約5分。
適性診断をやってみる → キャリア面談をする →